2016年4月1日金曜日

19世紀後半から20世紀初頭にかけてが全盛で、イブニングドレス以外のドレスにこの型が広く採り入れられていた[2]。そのため、日本で婦人にも礼式相当の西洋服装が認められた際には、「通常礼服」と規定された服装が「ローブ・モンタント」と称されるようになった。 この当時、日本では憲法を制定して立憲君主制近代国家を設立することを目指しており、服制の整備も行われていた[3]。女性の和装の礼服としては、明治4年7月24日皇室令第8号にて平安装束を改良した袿袴が制定され、明治17年9月17日の宮内省内達により勅任官夫人、同11月19日の宮内省内達により奏任官夫人の服制が定められていたが、明治19年6月23日宮内省内達により婦人にも礼式相当の西洋服装が認められた。同達により、大礼服はマント・ド・クール、中礼服はローブ・デコルテ、小礼服はローブ・ミーデコルテとされ、「通常礼服」と規定された服装が「ローブ・モンタント」である。これらの礼服は何れも丈が長く、裾を引く長さであった。格式の高いマント・ド・クールとローブ・デコルテは袖が短く胸元が大きく開かれ、ローブ・ミーデコルテは胸元が閉じられている。それらに対し、ローブ・モンタントは袖が長く、手首まであるのが特徴とされた[4][5]。これに帽子を被り、手袋と扇を持つのが女性の昼の正礼装とされる。明治17年の内達以降の宮内省内達及び告示を総合すると、女性の礼装としては、洋装が主であり、和装は次となっていることが見て取れる[6]。 今日では、女性皇族が宮中の昼の正式な行事や、陵墓、伊勢神宮及び明治神宮への拝礼の際に用いる。「勲章記章佩用心得」(明治22年賞勲局告示第1号)では、男子の通常礼服(燕尾服)は全ての勲章が佩用できるとされたのに対し、女子の通常礼服(ローブ・モンタント)には勲一等以上は副章のみ可とされていた。戦後の「勲章等着用規程」(昭和39年4月28日総理府告示第16号)でもこれが踏襲されていたが、平成2年11月17日総理府告示第47号による改正で、ローブ・モンタントも燕尾服やローブ・デコルテと同様、全ての勲章が着用できるようになった。 参照元;Wikipedia

女性の昼間の正装とされ、男性のモーニングコートフロックコートと対をなす。
アフタヌーン(午後)のドレスといっても、現代では午前中の行事から着られる。アフタヌーン(午後)ドレスと呼ばれるのは、19世紀の欧米の上流婦 人が、午前中に家事(実質的な家事は雇い人が行うので、その指示)を行い、午後から社交行事のため外出に着たドレスからきた言葉だからである。
ワンピース型の衣服で、スカート丈はくるぶしまでの総丈か、それ以上の長さである。装飾性が高いドレスの場合は裾を床に長く引くこともある。夜間に着られるイブニングドレスとは対照的に、七部袖以上の長い袖を持ち、襟ぐりも浅く、肌が露出しないようになっている。
襟元が詰まって立ち襟になったものはローブ・モンタントと呼ばれ(ローブ・デコルテに対する言葉)、現在の日本では皇居での行事(新年一般参賀、講書始の儀、歌会始の儀、皇室慶事(成年式・結婚式)の昼の宴)で見られる。形が似ている襟が詰まり長袖のイブニングドレスとの違いは、招待された側が帽子有りならローブ・モンタント、帽子無しなら長袖のイブニングドレス、同伴の男性がモーニングコートなどの昼用ならローブ・モンタント、タキシードなどの夜用ならイブニングドレスと区別できる。
素材は無地の淡い色で光沢の無いもの、透けないものが用いられ、装飾品も真珠などあまり光沢の無いものを用いる。帽子が着用されることも多い。
略式ではスカート丈を膝丈程度にしたり、ツーピース型の衣服やレディーススーツが着用されることもある。またイブニングドレスの上にボレロなどの上着をはおって代替とすることもある。

参照元:Wikipedia

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